特別支援「学級」のあれやこれ

元特別支援学級の教員、願いgotoriのブログです。主に業務のまとめとか。特別支援あるあるとか。

支援級で「ガーン」ってなっちゃうことについて

さてさて。

 

新年度が始りました。

コロナの影響で始まったのかどうなのか微妙なところではありますが、

4月に私の身の回りであった話などを書きます。

 

 

【新採用で支援学級になっちゃった!!ガーン。】

 

はい。

これよく聞きます。

毎年聞きます。

 

今年も聞きました。

 

 

なんでかしらね。

 

 

毎年「ガーン」ってする人いるんですよ。

これはマジの話です。

 

 

というのも、これは日本の閉鎖的な文化の名残だと私は思っています。

「障害者は隠せ」

という時代がありました。嘘じゃないです。ありました。

そこから今、動いていないのです。

 

いや、語弊があるな。動いている人はちょっぴり増えました。

 

でも、総数としてまだ少ないです。

 

 

で、なぜ新採用の子が「ガーン」ってしちゃうかっていうと、

支援学級という存在が未知数すぎるからです。

 

「障害者は助けてあげないと何もできない」

「でもどうやって助けたらいいか分らない」

「障害者にものを教えることなんてできるのだろうか」

「大学で習ってないよう」

 

まぁ、こんなところでしょうか。

 

 

正直私も教育実習で支援学校に行くまで、

障害のある人と触れ合ったことがなかったので、

知らない時は恐怖の対象でしかありませんでした。

 

街でダウン症の人を見て、避けて歩く側の人間でした。

 

 

まぁでも知らなかったんですよね。

ただ単に、彼らを知らなかった。

 

 

単刀直入にいうと、一緒に過ごすまで、わからないです。

他人なんで。

 

だから「ガーン」もある程度は許容してあげて欲しいと思います。

 

 

知らないだけなのよ。

 

 

「ガーン」ってしている新採用の人には、

どんなに魅力のある教育か、教えてあげればいいんですよ。

 

 

まずは、「ガーン」を受け入れてあげたいですね。

 

 

「そんなこと言ってる場合じゃないでしょ」

特別支援学級は教育の原点よ」

「きっと勉強になるよ」

 

あたり、言ってないですか?

言ったよね?(濡れ衣)

 

 

大事なのは、まず知ってもらうことで、

 

「なぜ」教育の原点と言われるのか。

「なぜ」勉強になるのか

「なにを」すればいいのか。

 

これを教えないことには、「ガーン」という気持ちは薄れません。

 

えー、語弊ありますが、

特別支援学級初担任の先生は、私にとっては「特別支援の対象」です。

 

つまり、そういうことです。

 

 

伝われ。

 

 

〜fin〜